Giving Campaignのページに「紫熊祭を開催するにあたって資金面の多くの割合を委員による10000円の年会費に頼っており、アーティストの方をお呼びしてアーティストライブを行うことも難しいのが現状です」と書かれていました。
最近の状況は把握していないので、黒髪祭の例を中心に熊本大学学園祭の資金不足の歴史を紹介します。
黒髪祭・熊粋祭の収入源としては、新入生からの徴収金、企画参加者からの徴収金、本部企画(実行委員会企画)収入、 パンフレット広告代などがあります。
現金以外では大学から紙などの現物支給がありました。
今回は新入生徴収金を取り上げます。
企画参加者徴収金などは次回以降に取り上げる予定です。
第25回黒髪祭(1993年)は総収入が約230万円。そのうち新入生徴収金は約40万円。
第1回熊粋祭(1994年)は総収入が約270万円。そのうち新入生徴収金が約50万円です。
他大学においては、学生自治会が集めた自治会費から各団体に配分される形が多いのではないかと思われます。
全学の学生自治会が存在しない熊本大学では、 1961から 1971年までは大学が新入生から課外活動費を徴収し各団体に配分していました。
初期の黒髪祭は休講措置もない非公認学園祭でしたが、第1回第2回ではなぜか予算を受け取れているようです。第1回(1969年)では40万円でした。
第3回黒髪祭(1971年)でも課外活動費248万円の中から40万円が配分される予定でしたが、学館使用許可願いの提出を拒否したため予算は凍結されました。
黒髪祭・文化部会が大学側と対立する中、 1972年からは課外活動助成会が徴収することとなりました。
助成会は保護者の団体で、教職員が顧問を務め事務を学生部に委嘱していました。
黒髪祭は第4・5・7回の予算は受け取れているようです(体育会『黒髪』6号 1977年)。
文化部会との対立もあって助成会は1976年度に解散してしまいます。
大学側と対立していた黒髪祭・文化部会だけではなく、体育会も自力で徴収をしなくてはならなくなりました。
体育会は「全員会員制」という方針を取りました。体育会『黒髪』6号(1977年)には「熊大生全員に体育会会費を納入して、会員になってもらい」と書かれています。
しかし「全員会員制」という言葉を使いながらも、実際には全員が会員になるという形はとれませんでした。
体育会の徴収は合格通知に振込用紙を同封する形になりました。
学生部長名の添書には「新入生諸君におかれては、大学生活を有意義に過ごすために入会されることをおすすめします」(1984年のもの)というような文章が書かれていました。
体育会『黒髪』第16号(1987年)によれば、1977年から1982年までの入会率は次のようになっています。
「52年度の入会率は最終的に90%程にまで伸びた」
「56年、57年に工学部合格者に入会趣意書等が同封されなかった事件があった。これにより入会率が80%台から60%台へこの2年間は落ち込んだ」
1980年代半ばから1990年代半ばの体育会入会率は70%程、新入生の入会者数は1300人程であり、金額は1990年度には一千万円を超えています。
黒髪祭の新入生徴収金は第22回(1990年)から第25回(1993年)までは40~60万円程度です。
学生部長名の添書では、体育会への入会をすすめたあと「なお、熊本大学学友会準備会、熊本大学文化部会、熊本大学黒髪祭実行委員会、熊本大学オリエンテーション実行委員会と称する学生団体名で、入会金などの納入通知を受けるかもしれませんが、これらの団体の金員徴収は、大学として認めていないので念のため申し添えます」(1984年のもの)というような文章が書かれていました。
この文章は1990年に無くなったようです。
1994年、熊粋祭は新入生からの徴収について体育会と同様の協力が得られないかと大学側に問い合わせました。
第1回熊粋祭が終わった後の1994年12月に、実行委は改めて「合格通知に振り込み用紙を入れさせてほしい」と大学側に要望を出しましたが、無理ということで断られました(第2回熊粋祭第1回総会配布文書)。
第1回熊粋祭の配布文書には次のように書かれています。
「私たち学園祭実行委員会は、将来的には入学時に、学園祭の費用を全員から集めて、その費用をもとに、カンパや参加金などなしで、運営したいと考えていますが、今年度は、実行委員会として発足したばかりなので、実績もなく、その体制がとれませんでした」
「そこで熊粋祭実行委員会では、第2回熊粋祭の資金の集め方として以下のように考えています。
Ⅰ 1.新入生より一律4千円全員から集める。→約800万円
2.パンフ広告代
3.企画参加金
以上のようにすると、まず企画者による負担が少なくなくなりますし、始めにお金が入ってくるために企画の計画が立てやすく、より充実した企画内容になるのではないかと考えています。」(第一回熊粋祭総括総会配布文書)
全員から集めるというのは、体育会が当初目指しながらも断念したやり方です。全員加入制の自治会による徴収と違って、支払わなければならない根拠が弱い形になります。
2002年には第10回熊粋祭に向けて「 新入生協力金のお願いを、大学が配布する入学案内(合格通知)に同封させてほしい」という要望を出していますが「 協力金等の挟み込みについては合格通知は出来る限りシンプルなものにしたいので許可することは難しい」と断られています(第10回熊粋祭第1回臨時総会配布文書)。
2003年には熊本大学公式サイトの掲示板「電脳武夫原」で、合格通知に体育会の振込用紙が同封されている件について議論が繰り広げられました。
「体育会だけが優遇されてるのですか?入試関係の書類に入っているというのは、集金力において圧倒的に有利じゃないですか」というような批判が書き込まれています。
すでに紹介したように、文化部会・黒髪祭と大学側の対立を経てそのような形になったという経緯があります。
しかし、この時点で助成会解散から26年がたっているのに不自然な形が続いているのは問題でした。
合格通知に熊粋祭の振込用紙も同封できればよかったのでしょうが、そのことを話し合うと、そもそも体育会の振込用紙を同封するのも問題ではないかという意見が出る可能性があります。一度体育会を見捨てるような形になった大学側は、そのような危険は避けたかったでしょう。
体育会・熊粋祭などが協力して合同徴収組織が出来ればよかったのかもしれませんが、そのような形はとられませんでした。
第1回第2回熊粋祭(1994・1995年)の新入生徴収金は約50万円です。
第9回熊粋祭(2002年)は172万円です。
2011年11月5日熊日夕刊に「保護者らから集め、企業協賛金とともに運営を支える協力金が、例年より3割以上少ない約200万円に。」と書かれているので、第17回(2010年)頃には300万円ほどあったと思われます。